2011年12月18日日曜日

「やっぱり女なんだ」の一言が教えの意味に気づかせた

「やっぱり女なんだ」の一言が教えの意味に気づかせた
日本社会に生きるムスリム6
佐藤 兼永  

今回は、現在進行形でイスラム教を受け入れつつある一人の日本人女性ムスリムを紹介する。伝統的なイスラム教の解釈を受け入れている日本人ムスリムも、様々な思いを巡らせた上で信仰を自分のものにしていることを理解してほしい。

 助産師で、聖路加看護大学大学院で国際看護の博士前期課程に在籍している田村千亜希さんは、4年前にコートジボワール人の夫と結婚したことをきっかけにイスラム教に入信した。

 「夫を見ていて、『イスラムって何なんだろう』と思うようになりました。本屋さんに売っているイスラムの本とかを自分で調べて、『私もムスリムとして生きていくのがいいのかな』と思い、自分から夫に宣言しました。私はイスラムになると。夫はその時までお祈りも自分だけでやってたし、ぜんぜん強要はしなかったんです」

 納得して入信したものの、田村さんはイスラム教の教えや考え方のすべてを最初から受け入れられたわけではない。

 「お祈りも、夫みたいに、すべて時間通りにやってはいません。授業と被ったら授業に遅れてまでお祈りはしません。まとめて、やったりはしちゃってますね」

 田村さんは、とある個人病院で助産師のアルバイトをしている。職場の同僚は全員、彼女がムスリムであることを知っている。しかし彼女が職場の片隅で礼拝することがあるのを知っている人は限られている。

 田村さんがイスラム教を受け入れる上で経験してきた苦労や葛藤のほとんどは、旦那さんとの関係に起因している。彼女の夫は母国の高校を卒業すると、サウジアラビアに渡りマディーナ大学でイスラム教について学んだ。田村さんは夫が他の多くのアフリカ人ムスリムよりも“厳格”である理由を、サウジアラビア留学経験にあると考えている。

 田村さんは夫のことを話す時、厳格という言葉を頻繁に使う。しかし話を聞いていると、“厳格”であることの対象は、マナーなど生活上の些細なことに関するものが多いことに気づく。

 例えば夫の“厳格さ”の一例として、「いただきます」や「ただいま」といった言葉をちゃんとアラビア語で言うように“生活指導”を受けていることを彼女は挙げる。

 食事中も注意される。「夫はとても厳しい敬虔なムスリムという感じです。絶対に左手で食べてはいけない。左手で食べていると『何をしてるの?』と怒られる」

 これには、さすがに納得できず、ムスリムの知り合いに相談した。「イスラムに精通した人に聞くと、そこには文化の問題が混じっていると言う。『そんなに苦痛に感じるならちゃんとご主人と話して、左手で食べることを許してもらったら?』と言われたことがあった」

 そこで改めて夫に話してみた。返ってきた返事は「それは駄目でしょ」の一言だった。夫に従うしかないと考えた。「私にとっての(ムスリムとしての)教科書は、コーランでなく夫なのかもしれません」。

半そでの制服に夫が不満
 田村さんの旦那さんは、彼女が仕事をしていることも快く思っていない。勤務中はスカーフを被らないだけでなく、制服の白衣は半袖だ。そのことが夫婦間の摩擦の種になる。

かつて、ある書類を彼女から受け取るために、旦那さんが彼女の職場を訪ねた。受付の人に書類を託し、夫が来たら渡してくれるようにと頼んだ。しかし彼女は結局、訪ねてきた夫に「呼び出され」(田村さん)会わなければならない形になった。

 「『どうしよう。私、着替えようかなぁ』って言ったら、職場の人が『そんなに大変だったら、私が行ってきてあげようか?』って言ってくれました。でも、『大丈夫です。この姿で行ってきます』って言ったんです」

 旦那さんは彼女の制服姿を見て、仕事を辞めろとは言わなかった。しかし「上司と話をして、長袖とスカーフ姿で働けるようにお願いするべきだ」とは言った。それも1度きりではなかった。それから数カ月の間、2週に1度は上司に話したかと聞かれた。

 彼女としては、旦那さんの気持ちを慮ってあげたい気持ちもある。しかし最終的に重視したのは助産師としてのプロ意識だった。自分の信仰も大事だが、医療従事者としては、何よりも患者の治療のために最良の環境を提供することを最優先したかった。


信じていれば「形にはこだわらなくてもよいのではないか」
 話題を彼女の職場から日常に戻そう。普段の田村さんの、服装の変遷の中に、日本人ムスリムがイスラム教を受け入れる過程の一例を垣間見ることができる。

 今年の2月に田村さんを初めて取材した時のことだ。彼女がスカーフを被る理由を尋ねた。すると一瞬、間を置いて、次のような短い答えが返ってきた。

 「はっきり言っていいですか?」
 「夫がそれを望んだから」

 イスラム教において女性は、女性の象徴となるものを覆い隠さないといけない。他の男性の目線から隠すためにスカーフを被ると田村さんは理解している。しかし、スカーフを被ることで、日本ではムスリムの女性が逆に目立ってしまうという思いもある。「形にはこだわらなくてもよいのではないか」という思いが入信してしばらくの間は強かった。

 しかし、このスカーフに対する思いは、揺るぎのないものではない。以前は「形にはこだわらない」という思いが100%を占めていた。しかしその割合が徐々に少なくなり、現在では20%くらいになっている。形にはこだわらないという思いが全くなくなることはないと考えている。しかしイスラム教が姿形や行為を重視する背景には意味があると、田村さんは次第に感じるようになった。

 スカーフに関しては、大学院の友人が発した何気ない一言で、その果たす役割を認識するようになった。

「やっぱり女なんだ」
 田村さんの友人で、同じ大学院の博士前期課程で看護管理学を専攻する中村美香さんは、心理学の授業で初めて田村さんを見かけた時のことを覚えている。スカーフ姿で自己紹介する田村さんを見て、「国際看護専攻だし、いろんな国の人が来るのかなと」思ったという。しかし直接話してみると日本人だと分かった。今ではすっかり仲の良い友人だ。

 中村さんはある時まで、スカーフを被っていない田村さんを見たことがなかった。2010年のゴールデンウィーク中に登校した時、周りに男性がいないのでスカーフを脱いでいた田村さんが、大学院生のラウンジでプレゼンテーションの準備をしていた。彼女を見た中村さんは、最初、田村さんを別人だと思ったという。

 次に中村さんがスカーフなしの田村さんを“目撃”したのは2010年の12月23日のことだ。その日、もう一人の女友達と3人で東京都文京区にあるフォーシーズンズホテル椿山荘に宿泊した。大学院で頑張っている者同士、自分たちへのご褒美にちょっとぜいたくしようと考えたという。

 中村さんともう一人の友人がホテル内のスパに行っている間、田村さんは一人で部屋のお風呂にのんびりと入ることにした。中村さんたちがスパから戻ってきた時、田村さんもちょうど風呂から上がったところで、髪の毛をバスタオルで拭いていた。「パーマをかけるなど髪型にこだわりがある」と語る田村さんの言葉に、中村さんは「田村さんはやっぱり女なんだ」と思ったという。

 「私、田村さんを見て、色気を感じましたね」(中村さん)

 中村さんが漏らした感想を耳にして、スカーフには女性を男性の視線から守る役割が実際にあると田村さんは感じるようになった。

 しばらくして、田村さんは中村さんに「ムスリムが被るスカーフに実質的な機能があるか」と訊ねた。2人で歩いている時にカップルの姿などが目に入り、独り言のように中村さんに訊いてみたという。この時には、中村さんの「スカーフには役割があると思う」という返事に対し、「そうなのよ」と同意できるくらい、スカーフの役割に対する認識は変わっていた。

ムスリムでない友人が生活にバランスをもたらす
 スカーフに対する認識の変化が示すように、田村さんは徐々にイスラム教の教えを受け入れるようになった。彼女の夫の解釈に沿ったイスラム教を受け入れてきていると言ってもよいかもしれない。

 田村さんによると、そのような彼女の変化に気づいたバイト先の同僚は「だんだん板についてきたわね」と言うそうだ。中村さんは「だんだんムスリムの世界に入って行きますね」と評する。

 しかし中村さんによると、田村さんはムスリムとしての認識が変化しながらも、友人たちへの接し方に変化はないという。ムスリムの一部にはムスリム以外との交遊を好まない人もいる。特に日本人ムスリムの場合、入信してイスラム教への思い入れが強まるにつれ、ムスリム以外の人との間に壁をつくってしまう人もいる。しかし中村さんは、田村さんにそのような壁を感じないという。


もちろんそこには、単に、仲の良い友人との関係を維持したいという思いもあるだろう。ただ田村さんは、イスラム教とかかわりのない友人との関係が、自分のムスリムとしての生活と周囲の日本社会とのバランスを保つ役割を果たしていると考えている。

 自分で決めて入信した。ムスリムとしての務めを果たしたいという思いもある。しかしイスラム教の考え方を次第に自分のものにしてきているとはいえ、あくまで彼女はイスラム教を受け入れる過程にある。生まれ育ち、慣れ親しんだ文化とは異なるムスリムとしての生活にストレスを感じることもある。しかし、イスラム教と関係ない友人たちがいることで、ストレスが和らぐし、無理のないペースでムスリムとしての生活をできるようになっている。

 「(ムスリムでない友人たちとの人付き合いが)このムスリムだけの生活のストレスから、ちょっと助けてくれてるのかなぁと思いますね」

 田村さんはまた、仕事で外に出ることがあるからこそ、日本でもスカーフを被っていられるのではないかと言う。


外国人ムスリムである旦那さんの変化
 変化してきたのは田村さんだけではない。田村さんは、外国人ムスリムである旦那さんの方も、日本社会の現実と自分の信仰との折り合いをつけようとして、苦労していることに気づいた。

 田村さんは以前、彼女が働くことを快く思わない“厳格”な夫が自分に歩み寄ることはないと思っていた。

 「(夫が歩み寄ることは)初めは全くないと思っていたんですよ。(妻である自分にどのように振る舞って欲しいのか)自分の要求だけ伝えるなって(思っていた)。『コーランにはこう書いてるでしょう。これを読みなさい』みたいな感じで言われてた。つい最近、彼もかなり苦労してるんだろうなって気づいたんですよ」

 「以前は、何かというと、『イスラムでは』とか『日本人は何とかだ』という発言があった気がする」と田村さんは言う。例えばイスラム教は利子を得ることは禁じているので、口座を持っている銀行に行き、今後利子をつけないように頼んできなさいと言われた。また、大学の恩師と近所の公園で偶然会った時、握手を求められた田村さんは喜んで応じてしまった。その場では夫は咎めなかったが、先生と別れてから「ムスリムだから男性とは握手できない」と先生に断らなければいけないと注意された。

 しかし、このようなことは次第に少なくなり、最近は人当たりも良くなってきた。夫がだいぶ接しやすくなってきたと感じている。

 夫が変わることで、田村さんも夫の身になって考える余裕が出てきた。

 「『私だけが頑張っているわけではない。彼も頑張っているんだ』って思ったら、少し気が楽になって、彼を少し受け入れなくてはと思うようになりました」

 旦那さんの変化には、彼の仕事が影響しているではないかと田村さんは考えている。

 田村さんの夫は現在、英語の補助指導員として都内の小学校で働いている。結婚当初は、彼が難民申請中だったため、正式に職に就くことができなかった。その時は大学院入学前だった田村さんがフルタイムで働いていたため生活に支障はなかったものの、イスラム教的には夫婦の立場が逆転していたことになる。

 その当時は夫のつらさに気づかなかった。夫の“厳格さ”ばかりが目についた。しかし大学院入学が決まり、学業になれるまで3カ月間バイトをせずにいた時に、夫のつらい思いに気づいた。社会人として仕事をしていないというつらさに加え、ムスリムの男性としてもつらかっただろうと想像する。



「イスラムだと、男性が女性を養わなければならない。相当つらかったと思いますね」

 旦那さんは仕事に就いたことで、ムスリムの夫としての自負心が回復するとともに、職場での日本人の同僚や子どもたちとの交流も、彼の態度の変化を促しているのかもしれないと田村さんは考えている。

 田村さんの旦那さんは職場でも、食事やお祈りについては自分の意志を通しているという。昼食は田村さんが弁当を用意する。礼拝は空き教室か更衣室で行っている。しかしそれ以外では、色々と我慢や苦労をしてるのだろうと彼女は想像している。我慢するだけでなく、先生たちと話をすることで、日本社会の在り方についても学んでいるのではないか。田村さんはそうも考えている。そして穏やかになってきたのには、日々、子どもたちと接することが影響しているのではないか。

互いの変化が相乗効果となり、歩み寄りが加速する
 以上が、今年2月と6月のインタビューの際に田村さんが語ってくれたことだ。

 旦那さんにまつわる田村さんの話は、彼のポジティブな変化についてよりは、“厳格”な彼との間の、しんどかった過去の経験談の方が多かった。自身のイスラム教に向き合う姿勢についても、ムスリムとしての至らなさや不十分さを恥じながら話していた。

 しかし10月11日に電話で話をした時の田村さんの言葉からは、明らかな変化が感じられた。まず彼女自身のイスラム教との向き合い方が大きく変化していた。

 田村さんは電話口で、「今年の断食は楽しめた」と語った。8月の断食月の間、普段より頻繁にモスクに通い、多くのムスリムと接する機会が持てた。そうすることで断食の意味がよく理解できた。そう語る彼女の声は、楽しげだった。

 6月に筆者が会った時、彼女はちょうど断食中だった。今年は8月1日に始まる断食月を控えて、去年の断食月にできなかった分の断食を、その日に済ませてしまおうと夫に促されたからだった。その説明をする田村さんから筆者が受けた印象は、断食に対してあまり乗り気ではないというものだった。

 現在の田村さんの話に戻ろう。彼女はまた、以前なら考えられないようなことを夫が口に出すようになったとも語った。

 「(夫に)『イスラムに関しての知識とか行動・格好よりも、あなたの気持ちが大切ですよ』って言われたので、ちょっと気が楽になったんですよね」

 「『気持ちが大切』と言いながらも、夫のことだから『気持ちがあれば行動に示すだろう』と考えていると思う。それでも彼の言葉は、助け舟のように聞こえた」と彼女は言う。

 以前なら苦痛に感じていたものも苦にはならなくなってきたという。例えば昔は、スカーフの端から髪の毛が出ていることを夫に指摘されると、嫌な思いをしていた。しかし最近は気にならない。

 「前は『うっさいなぁ』とか思ったんですけど、今はもう、別に、『ああ、そう? 失礼致しました』って感じですね」

 髪が少しはみ出ていることをいちいち指摘する夫。以前なら旦那さんの“厳格さ”を示す格好の例として取り上げてもおかしくない話だ。今は彼のことを、他のムスリムに比べれば厳格なのだろうが、「『イスラムに真面目な人だな』というふうにやんわりと思うように」なった。

 「厳格というか、『すごくいろんなことを知ってるなぁ』って思うように変わりましたね。まぁ、他の人と比較をすると、厳格と言えば厳格ですね。ただ、そういう彼が夫で後悔はないというか。いろんなことをすぐに聞くことができるし。安心できますね~。狂いがないというか、ブレがないので」

 これまで、主に日本人ムスリムの視点から見た話を進めてきた。しかし田村さんの話からも想像できるように、外国人ムスリムにも彼らなりの物語がある。次回は外国人ムスリムの話を紹介しよう。







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