2011年12月19日月曜日

ソマリアの軍閥「クラン」の驚くべき結束力

ソマリアの軍閥「クラン」の驚くべき結束力
ソマリアに続く“武器街道”を行く(3)
吉田鈴香


3月20日から4月3日まで、筆者はケニアのナイロビ、アラブ首長国連邦のドバイ、そしてジブチの首都ジブチを訪れた。最近問題になっているソマリア海賊が現れた背景、ソマリアの武器の動きと国際社会との関係、そしてソマリアの経済と治安についてなどを取材するためである。



 前回の原稿は、筆者がこの取材旅行で最初に訪れたナイロビのホテルで書いたものだ。ソマリア人コミュニティーを車の中から見た後のことである。この時、彼らの異質性に非常に驚き、ソマリア人を知るためにぜひ彼らに直接会わねば…と願っていたのだが、意外なところで出会いがあった。ナイロビにある、某国際機関である。

 その日、ケニアの国際機関で武器取り締まり関連の職に就く人を訪ねた筆者が、ソマリアの武器取引などについて押しかけ面談をしていたところ、髪にスカーフを巻いた女性が部屋に勢いよく飛び込んできた。


あるソマリア女性との出会い

 面談相手はその女性に「スズカがソマリアに関心を持っていて、ジブチにも行くんだ。手伝ってやってくれ」と短く言った。女性は筆者をちらりと見て、「あとで寄ってね」と言いおいて立ち去った。

 訪ねていくと、女性は挨拶抜きで、筆者の旅の目的、専門的背景、記事の論点を矢継ぎ早に聞いた。筆者が、ソマリア海賊や武器取引についての取材で来た旨を答えると、「OK」と言うや、携帯電話で3人のソマリア人に電話をかけた。近隣国在住のソマリア人ビジネスマン2人と、ソマリアの新首相オマル・アブディラシド・アリ・シェルマルケの側近の3人だ。

 彼らに、「今度、スズカという日本の専門家が連絡するから、必ず応援してやってね」という調子だ。彼女の大きな濁声(だみごえ)にいささか気押されていると、次には筆者に向き直ってさらに大声を出した。

 「スズカ、あなたは私がこれまで会ったジャーナリストの中で一番いいね。でも、英語で書かないといつまでたってもマイナーだよ」。痛い忠告である。

 「あの、名前を聞いてもいいかしら」と言うと、彼女はがははと笑い、「そういえば、名乗ってなかったわね」と、名刺を渡してくれた。聞いたこともない音感の名前だ。どちらの国籍?と聞くと、「ソマリア人よ。でも今は違う国籍になった」と、短く答えた。これが、ソマリア人との初めての出会いであった。

 「国籍など大したことではない。世界のどこに行ってもソマリア人コミュニティーがあり、ソマリア人のまま暮らせるのだから」

 彼女の何気ない一言は、その後多くのソマリア人と接するたびに、彼らが共通して持っている特徴だと感じるに至った。彼女のたっての願いで、名前も所属先も明らかにできないが、以後の取材は、この出会いのおかげで、霧が晴れるように進んだのは言うまでもない。


利益もリスクも共有する強烈な集団、ソマリア人社会

 紹介されたソマリア人ビジネスマンとは、ドバイとジブチで会った。それぞれ、ドバイのソマリ・ビジネス・コミュニティーのリーダーであるモハメド・ジルデ氏と、ジブチのソマリ・ビジネス・コミュニティーのアドバイザーであるアブドゥラーマン・オスマン氏である。

 彼らを通じて、現地で根を張るソマリア人たちと会合を持つことができた。その時に筆者が名乗ると、既に知っているふうであった。すでに人相書きが回覧されていたか?と思ったほどである。

 彼らはあらゆる産業に従事している集合体だとは言ったが、特に海運業、ロジスティック業を名乗ることが多い。皆体格がよく、英語が上手だ。ソマリアの軍閥「クラン」の経済力がよく表れている。

 彼らと話をしていて分かったことは、海外のソマリア人コミュニティーが強力な結束力を持っているということだった。ソマリア人コミュニティーでは、「自分だけがうまい汁を吸おう」と思う人間はまずいない。皆でビジネスチャンスとリスクを分け合う。

 全世界のソマリア人の仲介と調整に当たるのは、ソマリ・ビジネス&インベストメント・カウンシル(SBIC)事務局長である。「ソマリア国内での仕事も、外国での仕事も、全部SBICが取り持つ」と、事務局長が言うと、会員は皆うなずくのであった


そう、全員、クランの出身である。違うクランの出身なのに仲がよいのか、と半ボケの質問をあえてすると、「ソマリア人は皆、どこかのクランに属している」との答えであった。

 こうして、海外のソマリア人コミュニティーでは、うまみも危険も分け合う「鉄の結束」を誇る者たちなのに、ソマリア国内ではなぜいさかいが絶えないのか。これについて、あるソマリア人は「資源の奪い合い」と答えた。

 「資源とは?」と筆者が聞くと、「コミュニティーを守るのが、クランの仕事だ。コミュニティーが必要な資源を、供給しなければいけないのだ」という、答えにならない返事が来た。

 コミュニティーが必要な資源――、筆者には心当たりがあった。食糧だ。

 今回ナイロビを訪問した時、国連世界食糧計画(WFP)ナイロビ事務所の報道官、ピーター・スメルドン氏に会った。彼の説明では、2007年から急激に活発化したソマリア海賊の横行と紛争の激化の背景には、明らかに食糧不足があると言う。

 食糧価格は2008年の前半で、2~4倍に跳ね上がっている。降雨量の低下と水不足、日照りが続き、異常気象だったという。「理由は気候変動ですか」とスメルドン氏に尋ねると、「いかにも」とのことだった。

 気候変動は、既に人間の暮らしを蝕んでいる。気候変動が資源の奪い合いを生み、紛争となり、政治衝突にまで発展したのが、2007年から翌年にかけて起きたケニアの騒乱だった。

 それを筆者に教えてくれたのは、国連環境計画(UNEP)でエネルギー・プログラムオフィサーをしていた博士だ


アフリカは、人口増加と旱魃によって慢性的に食料不足に陥っており、もともと余力がなかった。そこへ、気候変動によって異常発生した蚊を媒介に、東アフリカ一帯のリフト・バレーでは「リフト・バレー・フィーバー」という熱病が発生。そこを追われた土地なし農民が国境を越えて流民化し、食糧と空き地がある土地へと流れていく。

 しかし行った先では彼らは厄介者だ。土地、食料、労働の機会などの資源の奪い合い、殺し合いが始まる。今、その流れがケニアのみならず、東アフリカで起きているのだという。


気候変動、食糧不足、そして軍閥同士の争いへ

 2年前にケニアでそれが目立ったのは、民主主義国であるが故に、流民を票田と見なした一部の政治家が、流民の意図的な移住を進めたために、一挙に大規模な暴動へと発展したからだ。

 そういえば、リフト・バレー・フィーバーはソマリアでも発生していた。あの時のケニアと同じ背景が、ソマリアの内戦をあおっていたのだ。

 1991年から政府がないソマリアに、選挙はない。その代わり、軍閥がコミュニティーの人々の命を守る責務を果たしている。政府が政治を行い、社会の規範は軍閥が守るすみ分けがかつてはあったが、政府がなくなったことで政治的役割も軍閥が負うことになった。

 高騰した食糧を仕入れるには、手っ取り早く違法ビジネスをして現金を稼ぐか、食糧を奪うか、人間の数を減らして争奪戦の消耗を軽減するかという方法しかない。クラン同士の争いの一部は、ここに理由があったのだ。

 ソマリア国内では、食糧不足で苦しむ土地と、難民・避難民の流出地と、激しい戦いが続く土地は、ぴたりと重なる。南部と中部の一部である。

 内戦の激戦地は、首都モガディシオを含む南部と中部だ。そこは基本的に豊かな農地だったが、農作物が取れない。食糧不足と治安の著しい悪化で難民と避難民が続出する。

 身の危険にさらされるのは外国人に限らず、ソマリア人さえも拉致されたり身代金を要求されたりしている。

 今回の取材旅行の後半でジブチとソマリアの国境を訪ねた日、子供2人を含む10人の難民が、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の職員を待っていた。全員、南部の出身であった。


ケニア側の難民キャンプには、既に収容人数の3倍を超える難民が押し寄せているのは、前回書いた通りだ。

 「ケニア政府にキャンプ用の土地の借り入れを申し込んでいる。しかし、現地のコミュニティーからの反発が強く、ケニア政府は及び腰にならざるを得ない」とUNHCRナイロビの報道官エマニュエル・ニャベラ氏は言う。

 こうした難民向けの食糧を確保するためにWFPが出していた運搬船が、2年ほど前にはよくソマリア海賊のターゲットになっていた。現地の職員が殺されるなど悲惨なことが相次ぎ、去年からWFPはフランスに護衛を依頼した。2008年12月以来、フランスはアトランタ・ミッションと称して1年間の予定で護衛を始めた。

 ソマリア海賊とフランス船による護衛の効果などについては、次回に詳しくお伝えしよう。






最後まで読んでくれてありがと~~~♪

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