2011年12月19日月曜日

「あらゆる違法がそこにある」ソマリア人コミュニティーを訪ねる

「あらゆる違法がそこにある」ソマリア人コミュニティーを訪ねる
ソマリアに続く“武器街道”を行く(2)
吉田鈴香


アフリカで最も民主主義が発達し、根づいている国の1つ、ケニア。筆者は今、そこに滞在している。国の北東部でソマリアと国境を接しているが、ソマリアとは国の体制が全く異なる。ケニアは人道、人権、民主主義を真に理解する開かれた国だ。その国に、ソマリア人のコミュニティーがあるという。

 筆者が出国する前、「ソマリア人コミュニティーに行ってくるといい」と助言をしてくれた人物がある。国際海事局(International Maritime Bureau)のディレクターだ。「クレンジング(資金洗浄)を含む、あらゆる違法がそこにはある」ということだ。


嫌悪感と警戒心でソマリア人を見つめるケニア国民

 「ソマリア人コミュニティーに行きたいので、連れて行ってくれませんか」

 現地で雇った運転手にそう告げると、彼は目を丸くした。「そこはEastleigh(イーストレイ)っていう地域だが、そこに何の用事がある?」といぶかしんだ。

 筆者は改めて今回の取材の目的を話し、協力を願った。その運転手というのは、筆者の友人である某国のセキュリティー関係者が「彼を雇うといい」と教えてくれた人である(ちなみに、某国のセキュリティー関係者とは、数日後にナイロビで落ち合うことになっている)。

 「友達の友達だから、友達だ」というノリで、その運転手とは初対面の時から様々な話をし、彼の言い値も払ってきた。だから、「コミュニティーに連れて行って」と言えばすぐに、「あいよ」と動いてくれるかと思っていたのだが、ソマリア人コミュニティーの名を出したことで、彼は急に顔をしかめたのだ。

 今回の取材旅行の目的を改めて話すと、彼は「ああ、それは取材というより、調査だね」と反応し、理解してくれた。そして「車から絶対に降りないこと。ゆっくり運転するから、何かやりたいことがあれば、指示をしてくれればいい」と言った。

 筆者が逗留している地域は、首都の中心から北へ車で30分以上かかるところに位置し、アメリカ大使が地域の入り口に居を構え、警察の寮と国連機関が軒を連ねている、首都の中でも最も治安が良く、美観も備えているところだ。国連職員はこの地域からほとんど出ずに、用を済ませることができる。その「完璧な空間」から、違法がまかり通る地域へと車を進めた。

 30分ほど行ったあたりから、ちらほらと、明らかにソマリア人と分かる女性を見かけるようになった。頭からベールをかぶり、首から下もすっぽりと1枚の服で覆っている。服の色は赤、黒、焦げ茶色が多い。運転手はある道に入ったところで、「時計を外して、バッグを座席の下に入れて」と筆者に助言をし、窓を閉めた。

 ソマリア人が、ひしめき合うようにいる。昼日中から大の男たちが数人固まっては何事かを話し、携帯電話をしきりに使っている。音楽に合わせて楽しげに踊ったりしているわけではなく、額を突き合わせて相談をしているふうである。まさに、「たむろしている」という様子だ。「彼らは仕事をしていない。いったい、どうやって暮らしているんだか」と、運転手は顔をしかめた。


ほとんどが、違法滞在者だろう。粗末な身なりが、彼らの生活レベルを知らせている。ケニア人に比べて頭部が非常に小さく、髪はコイル状に巻いている。白目が黄色く濁って充血している人も多い。眼病を患っている人もいるかもしれない。

 粗末な小屋のような住居の中は暗くてよく見えないが、入り口に練炭火鉢のような器を置いて、木炭を燃料に煮炊きをしている。小さな肉片を焼いている人もある。

 バナナなどの青物を商う店もある。「アルジャジーラ・レストラン」と大書されたテントは黒山の人だかりだ。たぶん、中東カタールに本社がある放送局、アルジャジーラの番組を見ているのだろう。あのテントは、ソマリア人のためにアルジャジーラが贈与したのだろうか。

 至る所に木炭が山積みされている。しかし通りに山積みされた木炭を盗もうとする姿はない。1メートル四方もありそうな大きな穴がいくつも開く道を、一定の速度で歩く人たち。けんかや喧騒はなく、それなりの秩序がありそうだ。

 ここでは、リヤカーが大活躍している。木炭や、袋に詰め込んだものをリヤカーに積み、額から汗を滴らせ、顔をしかめて運ぶ男たち。ゴミが山になっている場所もところがあり、子供と大人の男性が何かをあさっていた。

 真新しい建物が見えた。運転手は「学校だ。彼らが金(かね)を出して建てたんだ。誰が払ったんだ? そんな金、どこから来るんだ?」と言う。筆者が、ケニア政府が建てたかもしれないと言うと、「こんな不法滞在者に、政府が金を出すわけがない」と運転手。

 しかし民主主義国だからこそ、不法滞在者に便宜を図ることもある。彼らへの福祉の精神と、人間に教育を授けてこそ国家である、という意識からである。ケニア政府かソマリア人自身か、どちらが建てたのか分からないが、児童労働の姿がないところを見ると、教育の重要性はソマリア人も理解しているのかもしれない。

 それにしても、運転手のソマリア人への嫌悪感と警戒心は相当なものだ。以下、彼の言葉を列記してみると…。

「ソマリア人は傲慢(arrogant)だ」
「ソマリア人は汚い。体を洗わない」
「ソマリア人は辺り構わずペッペッと唾を吐く」
「働かないで、ケニア人を追い出してケニアの土地を勝手に使っている」
「ソマリア人はケニア人と一切話をしない。話しかけても返事をしないばかりか、我々のカバンをひったくり、金品を奪う」

 偏見とは、生活習慣の違いやコミュニケーションの遮断から生まれる。ケニアの国民からすれば、「ソマリア人はケニアの土地を勝手に使い、自分たちだけで固まって生きる身勝手な人間」と思ってしまうのは、理解できなくもない。



ソマリア人のコミュニティーがほかのアジアのスラムと明らかに違うのは、投げやりな姿がないことだ。アジアのスラムは栄養不良も蔓延し、閉塞感が強く漂って、売春をしていると思しき女性や、道端に寝転んで体力の消耗を避けている男性が多い。

 しかしここでは、携帯電話を使ってしきりに何事かを話す人も多く、女性は1人で歩いているし、子供たちは学校に通っている。これをソマリア人の発展の可能性と見るか、ソマリア人のケニア乗っ取りと見るか。

 宿に帰って、ソマリア人コミュニティーの話をした時、筆者が逗留している宿のスタッフは、「今にケニアは、ケニアという名前のソマリア人国家になるよ。私らは戦うからね。これは戦争になるよ」と息巻いた。


ソマリア人にはソマリア人のルールがある

 ソマリア人の様子は、ケニアに来る前に取材で聞いていた話と大いに符合する。

 「彼らは教育を重んじる。彼らには彼らだけの社会的秩序があり、それを守って生きているため、治安は完ぺきである。店に金を積んであるが、誰もそれを盗ろうとしない」とは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日代表のヨハン・セルス氏の言葉だ。

 「ただ彼らは、我々が唱える民主主義や人権の概念を彼ら自身の言葉で理解しているため、我々がそれを押しつけようとすると、非常に反発する」とも述べた。ヨハン・セルス氏は半年前までニューヨークで人道支援に携わっており、ソマリアにも何度か足を踏み入れている。同様のことを、国連で働く数人が皆指摘していた。ソマリア人の特性は、国を離れた異国においてもそのまま通用しているようだ。

 国境近くにあるソマリア人のための難民キャンプ、ダダーブは「9万人収容可能」と言われているが、実際にはその3倍の25万人以上が収容されている。しかし、ケニアは難民支援をしなくてはならないと同時に、「難民」という名目ではなく、違法に流入してきたソマリア人のコミュニティーの扱いに手を焼いていることだろう。ケニア人からも嫌われ、警戒心を持たれている一群が、人数も分からないまま首都の一角で膨張している。

 筆者は前夜、ナイロビで最も新しく最も清潔なショッピングモールで見かけたソマリランドの閣僚の姿を思い浮かべた。筆者が国連職員と食事をしていると、遠くから明らかに普通の人とは違う、威風堂々たる人が3人こちらに歩いてきた。

 仕立ての良い背広、真っ白なワイシャツが、茶色の肌に迫力と権威を与えており、威圧感があった。「1人は米国で教育を受けているんですよ」と知人は教えてくれた。その姿は、ニューヨークの国連本部ですれ違うアフリカ各国のエリートと全く同じだ。

 ソマリランドは、ジブチと故郷を接してソマリアからの独立を望み、すでに政治を始めている。旧イギリス領であり、現在大いに荒れている首都モガディシュを中心とした南部と、「アフリカの角」の一角に当たる旧イタリア領のプントランドとは、違う社会になったのかもしれない。ただ、同じソマリア人なのである。

 この違いは、何だろうか。教育、社会秩序、外国との交流…。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 ソマリア人と話がしたい。

 宿に帰るや、筆者はソマリア人と知り合いだと言うケニア人に電話をかけ、面談の依頼を申し込んだのだった。




最後まで読んでくれてありがと~~~♪

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